きっかけは米津玄師だった。昨年の大晦日、紅白歌合戦に出場した時に息子が彼のことを「ハチさん」と呼んだ。「何?ハチさんって。」と聞くと、もともと米津さんはハチという名でボカロPをしていたのだと説明してくれた。

ボカロPとは、ボーカロイド技術を駆使して創作活動をする人のこと。そしてボーカロイドとは、音声合成ソフトのこと。私もそれほど詳しくは知らない。ボカロを代表する初音ミクが12年前に誕生し、息子が家でよく聴いている曲に人工音声の歌声が混じるようになった頃、私はよくたずねたものだ。「これ人間?」って。

私は歌には感情が込められるものだと思っていた。微妙なニュアンス、声の抑揚、魂がこもったような叫びは人間にしかできないと信じていた。だから超高音でテンポの速い、ボーカロイドの歌声に興味はなかった。どこがいいのか、全く理解できなかった。

ただ私は、ハチさんという人物の作品を鑑賞し、彼の価値観や感性を感じたかった。そのためにいくつかボカロ曲を動画で観ているうち、ハチさん以外の作品も目に入り、たまたま「無限にホメてくれる桜乃そら先生」というタイトルの曲と出会った。最初は何も思わなかったのだが、なぜか何回か観ているうちに、そら先生の「大したものですね」のこの表情がお気に入りになってしまったのだ。そら先生は、承認の女神のような人で、とにかくホメてホメてホメまくってくれる。私はこの一瞬の表情が見たいがために、何回か再生ボタンを押すのである。

あるとき、途中で曲調が変わり「辛いね」「苦しいね」という歌詞のところで涙が溢れた。そこで、そら先生が応援しているマキちゃんという女の子の後ろ姿が気になるようになる。マキちゃんが見ているものがわかるとまた涙。意外とストーリーがある動画だった。

私は「無限にホメてくれる桜乃そら先生」が大好きになり、運転している車の助手席にスマホを置き、音だけ楽しむようになった。その時、衝撃が走った。運転中は画面を見ずに耳だけで聴いているから、純粋に音楽だけが情報として入る。その音は、明らかに人工的に作られた声だった。(正確にはこの曲はボーカロイドではなくボイスロイドで、読み上げ用音声合成ソフトで作られている。)元の声のモデルになった人間はいるものの、人工音声!

なのに、私はこの無機質な音に温かさを感じる。健気さ、優しさのようなものも。自分の中の固定観念が崩れていった。ああ、これからはこのように様々なものに人間は意味付けしながら、共存して豊かに生活していくのだと思ったりした。息子に母の考え方の変化を伝える。すると、こう返事が返ってきた。「うん。それに、ボカロ作ってるのは人間だってこと。その過程を想像するとグッとくる。」
なるほど。

(投稿者@PAO)