子どもの頃、母の裁縫箱に入っている指ぬきに興味津々だった。指輪のような形でありながら、ちっともお洒落ではないそれを、いったいどのように使うのか想像がつかなかった。平べったい三角チャコ、ルレット、ヘラ。私や妹のワンピースを何着も作ってくれた母の道具は、使い込まれていた。

祖母の裁縫箱は、お菓子の缶だった。私が小学校3年生か4年生の頃に書いて出した手紙を、小さく折り畳んでその箱の中に大事にしまってくれていた。子ども心に大変嬉しかったのを覚えている。

道具というのは、使っているうちにその人だけのものになる。台所道具でも、筆記用具でも、乗り物でも。料理が得意な人の、鍋の迫力。包丁の輝き。ものを書く人のペンの重厚さ。絵を描く人の筆の存在感。軽やかに走る自転車のハンドルのカーブに、目が行く。他人の自転車に乗った時に、ハンドルの感覚の違いに戸惑った経験が何度も。

今日、ある方のご自宅に初回面接に行った。そこには「毎日使っているもの」が、あふれていた。言葉はなくても、その方を説明してくれるもの。おそらく理由があるのだろうと思われる生活の工夫の数々。その中には、少し手を加えたいと思うものや、危険だと感じるものもあった。たとえば、滑りやすいマットとか。洗濯の物干場の不安定さとか。

初回面接は、いつでも独特の緊張感が生まれる。始まりの、胸の高鳴り。敬意を払いながら、どうか私を、あなた達のご主人の生活を支える仲間に加えてくださいと、周りの道具達にそっと目で伝えた。

(投稿者@PAO)