備前住香平【3】

Hello、若頭です。

1月も残り10日…早いものですね、あっという間に第2回学会になっちゃうのではないかとw

2月がくれば、あれから21年が経つことになる。
高校1年生の冬…

雪が降り、あたりは真っ白だった。

子どもや私たち孫が見守るなか、病室で祖父は息をひきとった。

退職後、肝臓癌を患っていた祖父は、入退院を繰り返していたが、手術をすることもできなかった。

子どもたちの考えで、癌の告知はされることなく、祖父自身は在職中から病院にかかっていた、肺線維症が進行したものだと最期まで思っていた。
私も癌のことを知ったのは、亡くなってから数年も経ったあとだった。


 

ある日、見舞いに行くと、

「あんたたちはちょっと外にいなさい。」

祖母と母に言われて、病室を出た。
15分ぐらいしてからだろうか、

「もういいよ。」

部屋に入った私は、その間で何がおこなわれたのか、臭いで理解することができた。

今思えば、私にとって偉大な存在であった祖父が、自分で排泄の処理もできないほどの状態にあることを、今の私よりも体格がよかった祖父が、病に侵された姿を親として見せたくなかったのだろう。

実際に、亡くなったときにはじめて私は知った。

「ちょっと待て、こんなに手足は痩せていたのか…」と。

後になって、このことを母に話すと、

「え?オムツを替えていたのあんた気づいたの?」

と、驚いた表情を見せた。
孫たちに気づかれないよう、必死にオムツ交換をして、寒いのに窓まで開けて臭いを消していたらしい。
小学生だった、私の弟は気づいていなかった。


 

あのとき、痩せゆく祖父の姿を見ていたら、何かが変わっていたのだろうか?

癌の末期であることを知っていたら、何かが変わっていたのだろうか?

ふと考えることがある。

そんなときは、備前住香平を手に取り、語りかける。

「なぁ爺ちゃん、またあんたの孫に産まれていいか?」と。

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広報部@若頭


 

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