「うちが貧乏じゃったからあんたたちには不憫な思いをさせた」母の口癖だった。ウチは貧乏だったらしい(笑)‥ところが、私には’家が貧乏で不憫な思いをした記憶’はない。母の主観と私の主観‥そこには未だ擦り合わせのできない乖離がある。

 

私の両親はともに幼くして親を病気で亡くしている、母は親と死別後、賢くて優しい兄としばらく母方の親戚に引き取られ穏やかで優しい日々を過ごす。程なくして今度は叔父の意向で父方の親戚に半ば強引に引き取られることになる。戦時下、誰もが生きることに必死で他人に構っている余裕などない、明日をも知れぬ命と生活困窮の中で底をつく食糧事情、養母の心中を推し量るまでもなく兄妹は招かれざる存在だった。

そこでどんな生活が待ち受けているか、賢明な兄は薄々気づいていたようで「いいか、秋子!兄ちゃんが必ず迎えに来るからそれまで辛抱するんよ。帰ってきたらここを出て二人で暮らそう」そう言い残し出征を迎える。たったひとりの愛し妹を残し、優しい兄は去って行った。

その兄は戦地で病死を遂げ、遂に妹との約束は果たせなかった。兄はどんな思いで母を一人残しこの世を去っただろう、母の悔悟や絶望はいかばかりだっただろう、それを思うと胸が張り裂けそうになる。だから母は滅多なことで弱音を吐かない、苦しいとか辛いとか言う言葉を母の口から聞いた記憶がない。(‥幼き日、体幹の無数に存在する母の火傷の痣を「母ちゃん、これはどうしたん?」と聞く私に「悪いことしたから灸(やいと)を据えられたんよ」母は苦笑しながら答えたものだ。辛酸を語りたがらない母、その母が養母に虐待を受けていたことを知ったのはつい数年前のことである‥)抗えない過去は振り返らない、母の覚悟がそこにある。

差別と虐待の連鎖の中で、ようやく独り立ちした母は実直で働き者の父と巡り逢い結婚する。母の描く幸せな家庭像、紛れもなく愛情に溢れた暖かい家庭だった。教育をまともに受ける機会を得られず、家庭の団欒も知らない母、夢に見た暖かい家族が唯一の母の拠り所だった。子供が少し風邪をひいただけで、母は狼狽え、オロオロし、神に祈り続け、眠れぬ夜にただひたすら子供を抱き続けた。

家族のかたちを守り抜く、子供に教育を受けさせるために母は働きに働き詰めた。だから幼き日の私の思い出は、美味しいお料理を作る母の背中と家族5人で囲む暖かい夕餉。それは母の描いた幸せな家庭像に共通するものだろう。家族の原風景がここにある、それは確かに実存している、父の、兄の、姉の、そして私の胸にも‥

愛情いっぱいの家庭に育ったことが私の誇り、母娘の価値観はここで一致する。

 

「今が一番幸せ」母の口癖、

あなたが必死で守り抜いた家庭を離れ、新しい家庭を築いた娘はあなたの夢に近付いていますか?お母さん、私も今が一番幸せ‥、今までもこれからもずっと。

(広報部@くんちゃん)