しゃんのーと 異星人と力への意思

☆shan note☆ ace of acs
emotive chained and unchained. mistery of your mind and behavior.

しゃんです。

今回は、久々の音楽ネタ。
大体、音楽ネタの際は、勝手なオタクネタだったりするんですけど(汗)

で、何で音楽ネタかと言うと、先日、たまの休みにデヴィッド・ボウイ大回顧展に行ったからw

ということで、以下雑談w

よく知らない人もいると思うので簡単に解説をすると、デヴィッド・ボウイとは、60年代後半から活躍していたカルトでアバンギャルドでニューウェーブで変幻自在なイギリスのミュージシャン、俳優。残念ながら昨年1月10日に肝がんで逝去しています。

そんな彼が世の中に注目されはじめたのは、僕が生まれた翌々日の1969年7月11日、当時のアポロ11号の月面着陸(月面着陸したのは7月20日)に合わせてリリースされた「スペースオディティ」という曲がアメリカ、イギリスで大ヒットしてから。

当然のことながら、その当時の記憶など全くなく、僕がデヴィッド・ボウイを意識しはじめたのは、中学一年の春。大島渚監督の映画「愛のコリーダ」ではなくww「戦場のメリークリスマス」

その当時は、「YMOの坂本教授が出てるんだってー」とか「ビートたけしが出てるんだってー」と話題になっていましたが、ちょっと流行に敏感な奴は「デヴィッドボウイも出てるんだぜー」と鼻を膨らませて言っていたのを憶えています。あと、当時の若者たちがこぞって見ていたベストヒットUSAという洋楽情報番組でも曲がチャートインしていたので、ディスコ等で流れるポップシンガーなのかなくらいの理解でしたが、映画のお蔭でたくさんの情報がテレビに流れてくるのを見て、なんかスゴイ人なんだねって印象程度。

ですが、その頃より洋楽に傾倒していったしゃん少年。インターネット等ない時代ですから友だちのお兄ちゃん所蔵の昔のミュージックライフ(音楽雑誌)なんかを勝手に借りて読み倒していく日々。すると、ある日出会ってしまったんです。テレビや映画で見たのと全く違う派手派手でバイセクシャルな雰囲気を醸し出す異星人ボウイに。
その奇抜さたるや、季節で色が変化する芦屋アローチャート勉強会の代表Oさんのヘアーのようでしたw(やはず5号参照w)

そして、その日から一発で僕のアイドルの仲間入りをしたわけです!!
あー、懐かしい昭和な日々w

と、ここまではミーハーな話が続きましたが、ガキの頃は、ただ単にキャラをどんどん変えていくぶっ飛んだアーティストとしかとらえていなかったんです。でも、大人になり、インターネットも普及し、いろんな情報をお手軽に手に入れることが出来るようになった現代。
子どもの頃から追いかけてきたいろんなアーティストのことでも、知らなかったことが調べられたり、凄く貴重で海賊版を買い漁ったような動画とかが超簡単に手に入るじゃないのさって感じです。ですから、よく暇な時に調べては、童心に帰ってしまうことがあります。もちろん、デヴィッドボウイのことも時々チェックしちゃいます。

そうすると、それまでは、限られた情報で勝手に想像していたデヴィッド・ボウイの内面が少し垣間見えるようになってきたんです。

ざっくり言うと

戦後すぐにナチスの空襲で破壊された町で生まれ貧困生活
たぶん、イギリスだから労働階級だったんでしょうかね。

音楽や美術が好きだったオヤジが頑張ってくれて、美術学校へ進学 音楽を始める しかし 色恋沙汰で友達と喧嘩して目を大けがして入院
ここで、左目の瞳孔が開きっぱなしになり、有名なオッドアイになる

その後、美術学校をドロップアウト

社会人になるが、美術学校の友だち(女の奪い合いで喧嘩した友!!)に誘われ、音楽の世界へ戻る しかし 売れず演劇へ
その頃、ニーチェの哲学や宗教に目覚める

演劇で多少注目されるが、音楽も再開 カルトヒーローへ

しかし、手にした栄光の影で訪れる父の死 兄、母の精神疾患、兄の自殺

そして自分はドラッグ中毒。。。

これが、たぶん、20代~30代に起きている出来事かと。。。なんとも激しいし、ここまで来ると華やかさの裏側の影がありまくり。

と、ここまで書くとそろそろ皆さんの分析脳がムクムクと動き始めてる頃でしょう。

ついついアローチャート描いて事例検討したくなる感じですw

こんなに絶望と栄光が隣り合わせの人生の中でも、彼は決して人の悪口などを言うようなことはなかったそうです。そんな彼を突き動かしたものを紐解くのが、前述のニーチェの哲学(実存主義)。

そこで、ニーチェのお勉強をすると、、、

根底にあるのは「力への意思」という概念ではないかと思います。

簡単に言うと、様々な外的な力によって自分の思いだけでは上手くいかない事があっても、誰かのせいにせずに受け入れながら、より良いところに向かおうとする意思、努力。

たぶん、彼は、ロックスターとして溺れる日々を送っているようで、自分ではどうにもならないことを受け入れながら(糧にしながら)自分の望むべき姿を追求し続けたんだろうなと思った次第です。

さて、こんな感じで皆さんも大好きなアーティストとかの人生や影響を受けたものとかからお勉強してみてはどうでしょう。

No Music, No Life. No Arrow, No Assessment.

《おまけ》
大人の趣味に付き合わされた姫と交互に描いたコラボ作品

投稿者@しゃん

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