アロ研名物『無茶振り』の哲学

人は、何かを与えたり、与えられたりして生きています。
「何か」は、有形であったり無形であったりします。

この「与える」「与えられる」は、真逆の行為のように見えますが、
実は、相互的なプロセスであり、多くの場合パラレル(並列)です。

つまり、与えるということと、受けとるということは、
「作用・反作用」のように同時に現れ、進行していくのです。

このような相互的なプロセスの代表格は、「ボランティア」ではないでしょうか。

僕も、若い時分にあるボランティアを継続的にしたことがあります。
振り返ってみると、確かに、「差し出したもの(労力や時間など)」よりも、
「持ち帰ったもの」の方がはるかに多いことに気づきます。

「持ち帰ったもの」の中で、最も貴重なものは、やはり『人間関係』
ではないかと思います。

人は、与える経験をした時に、この構造に気づきます。
この気づきが、(例えば)ボランティア活動を継続させてくれるのでしょう。

人を育てるためには、このパラレルに気づいていただくしかないとさえ思っています。
でも、このような理屈を延々と説明し納得していただいて、
という手順で「与える」場に送り出す…。
本当は、それがいいのかもしれませんが、不器用な僕には至難技と言わざるを得ません。

そうして残された手段が『無茶振り』だったわけです。

僕が、「無茶振りは人を育てる」と言っているのは、そういう意味です。

決して、自分が楽をしようということではありません(ウソじゃありません:笑)

今後、『無茶振り』を食らった方は、この記事を読みなおしてみてください。

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