日々是好日
最近いただいた老舗和菓子屋の包装紙の裏に、封筒枠が印刷されていた。捨てることなく再利用できるようになっている。ちょっと感動。外からはまったく見えないところに、粋な計らいがしてあるなんて。 この「見えないところ」というのが、かなり重要な気がする。世の中には、どれだけ気がつかずに通り過ぎてしまうもので満ち溢れているのだろう。表からは想像もつかない何かを、一枚めくっただけで発見できるかもしれないというのに。
生きていると、毎日この発見の連続だ。買い物に行って季節の変わり目に新商品を見つけたり、枯れたような枝から若芽が顔を出していたり、吹く風が暖かくなっていたり。面白そうな本が出ていたり、新しい道路が開通したり、靴下が破れていることを出先で見つけたり。 包装紙の裏にあった封筒枠のように意外な発見もあれば、すぐに視界に入るわかりやすい発見もある。視覚的なものもあれば、肌で感じる発見もある。口に入れてみて、食べて感じる味覚的なものもある。
そして、長い年月をかけて初めてわかることだってあるのだ。 合唱に力を入れていた母校の中学校では、音楽の時間はいつも歌っていた。合唱曲は今振り返ると歌詞が素晴らしいものが多かった。その中で、歌いやすくて好きだったけど歌詞の終わり方が中途半端に感じ、当時なんとなくモヤモヤしていた曲がある。 曲名は「時は流れても」。 以下歌詞のラストを引用する。
「時の流れは とまらないけど 自分の時間を 生きていれば いつかはきっと あなたもわかる 時が育てた 贈り物」
なんだよ、贈り物って。と思った。 中学生の私にはまったく意味がわからず不満だった。わからないまま歌っていた。 その贈り物が何であるか、それは歳を重ねれば重ねるほどわかるのではないか。久しぶりにこの曲を聴いた時、泣けてしまった。
贈り物は、誰でももらうことができる。
投稿@PAO