地域のなかで【37】
今月初め、当地域には土砂災害警戒情報により避難指示が全世帯に発令された。
私は消防団員であり、深夜から河川の警戒が始まり避難所の開設支援など徹夜の出動であった。
担当した避難所は町で一番規模の大きな場所であり、一時は530名程の方々が避難しており、中には介護保険施設の入所者が100名超、含まれていた。
深夜、早朝の避難であり施設から入所者を搬送するには大変な労力が必要で、避難後のトイレ介助なども職員の方々が総出で対応するなか、避難をしてきた有資格者の方々がボランティアとして見守りや誘導の補助をする姿もあった。
夜が明け始め、いつまで避難する必要があるのか、河川の氾濫危険度はどうなのか…止まない雨に不安そうな表情をする多くの避難者に、
「お水!お水どうですか?」
「タオルが来ました!濡れている方どうぞ!」
突然、元気の良い声が避難所内に響いた。
地元の小・中学生だ。
救援物資が次々と届き、自治体職員が慌ただしく対応をしているなかで、生徒たちが自主的に物資の配布に協力を始めた。
昼が近づき、おにぎり、パンなどが届くと、自分たちのものよりも配る方を優先し、一人一人に声をかけながら全員に行き届くように気をつけながら笑顔で活動してくれた。なかには自分のパンを取り忘れ、食べることができなかった子もいる。
「あの子達に勇気付けられた。」
「子供達に元気をもらった。」
避難指示が解除され、自宅へと帰る人達からは、そんな言葉が多く聞かれた。
昭和の後半、町が壊滅的な被害を受けた水災害が発生し、多くの犠牲者が出て、町の水災害対策にとって大きな影響を与え、今なお教訓を多く残している。
その影響もあってか、当時の災害を経験していない子供達でも、どうするべきなのかを考え行動できたのかもしれない。
翌日、小学校には地域の方から、泣きながら御礼の電話があったそうだ。
当地域は、浸水や土砂災害等の発生はあったものの、幸いにも人的被害は発生しなかった。
しかし、翌日からの九州北部豪雨では多くの方々が犠牲となり、未だ避難生活を強いられている方も多い。
1日でも早く、地域が元気を取り戻し、人々に笑顔が戻る日が来ることを祈りたい。
@若頭