一枚のポスターに惹かれて、久しぶりに写真展を観に出かけた。

テーマは「ひと」。

帽子を被った紳士の後ろ姿。
そばかすの女の子。両手でピースしてる。
大きな肉の塊を切る職人さん。

写真を通して人に会いたくなった。

会場に着いて最初に目に入ったのは、大阪のホームレスの高齢男性を写した連作。何年もかけて撮影されたもの。撮った写真をアルバムにしてプレゼントされ、嬉しそうに眺めている一枚。またある時はタバコを加えて座っている写真。四角い紙の先にあるものを想像してみる。彼が見つめる先には何があったのだろう。ある日を境に姿が見えなくなったという。撮る側と撮られる側二人の物語を感じた。

「写真を撮られているんですか?」

主催者の一人に声をかけられ、あわてて首を振る。私があまり長い時間をかけていろいろな角度から観ているので、気になったようだ。顔を近づけたり離れてみたり。さっき観た作品に戻ってみたり。もし私がカメラに詳しかったら、もっと違う話ができたかもしれない。話が弾んだのかもしれない。残念ながら技術的なことは何もわからなかった。

ただ、写真は好きである。連続して流れる時間の、ある一瞬を一枚の紙に焼き付けて永遠のものにできるなんて、本当に素晴らしい。誰が見てもそこには事実がある。正確に伝えられる顔の表情、髪の毛の一本一本。

スマートフォンでいつでも気軽に、写真を撮ることができるようになった今。それでも人を撮るのは難しい。その場の空気を伝えることがなかなかできない。つまり、伝えられるような写真を撮るのは難しい。なんだかそれは、覚悟がいるような気がする。真剣勝負のような。

カメラを持っていなくても、ファインダーをのぞくようなつもりで人を眺めてみるのもいいだろう。一瞬一瞬の表情を頭の中に焼き付ける。目を閉じると、今日一日に出会ったあの人やこの人の、印象に残った笑顔や泣き顔が思い出される。声まで再生されて。それを繰り返しているうちに、きっと満足できる写真が撮れるのではないか。そんな気がしている。

(投稿者@PAO)