「1994-2003」
気がつくと娘の年齢が、私が彼女を生んだ歳と同じになっていた。ふと、出産祝いに10年日記をもらって書き続けていたことを思い出し、押し入れから久しぶりに取り出してみる。当時の育児に奮闘していた毎日や、2003年から特別養護老人ホームで、ようやく念願の介護の仕事を始められた様子が記されている。
忘れていた記憶。
今と全く変わらない筆跡。
あの頃、ひどく悩んでいたことは跡形もなく消えてしまった。
小さな子どもを育てながら、当時日々の出来事をwebページで発信していた。隠し部屋というのが流行っていて、それは画面の小さな点やなにげない画像にカーソルをあててクリックすると秘密のページに飛ぶことができるのだ。秘密というと少しおおげさかもしれない。ただ、見つけられた人だけがのぞくことができる、遊び心のようなページ。
私は1週間ごとに消してしまう毎日の一言を更新させていた。
誰も見てくれないかもしれない。
気がついてくれないかもしれない。
でも、もしかしたら毎日見に来てくれる人がいるかもしれない。
そこに書いていた一行日記のようなものが、10年日記の方にも書き残されていた。
「雨の日曜日。足の踏み場もないほど散らかったリビングと二匹の怪獣。」
「庭の野生化したスペアミントのぎゅん!と伸びた茎。お昼の長﨑ちゃんぽん。」
「表情を持たない白い空。どこまでもどこまでも。でも風はさわやかに時間を動かす。」
「田んぼの脇の細い用水路。コポコポ流れる水の音の涼しさ。そのそばでいたずらっぽくねこじゃらしが揺れている。」
「鹿児島のからいも飴。今年初めて見たつゆ草の花びらの青。そしてあなたがここに来てくれたこと。」
昔の自分より、今の私の方が好きだ。自信をもってそう言うことができる。20年後は、もっともっと自分を好きになっているといいな。体力は衰え、老化現象は進んでいるだろうけど、歳を重ねていくということはどれだけ素晴らしいのだろう。
(投稿者@PAO)