しゃんのーと AC
☆shan note☆ ace of acs
emotive chained and unchained. mistery of your mind and behavior.
しゃんです。珍しく前回からそれほど間を空けずに投稿ですw
僕は関西出身の両親のもとに生を受けました。
ですが、父の仕事の関係で幼い頃より東京、埼玉と関東で育ち、今は東京の端っこに住んでます。
そんな僕の母が他界したのが昨年末。
当然、関西のお盆に則って今週、新盆です。
そのために、時間を見ては実家に戻り、片付ける訳ですが、まあ、大変。
数年前より溜まった荷物の山を見ながら、両親の衰えに気づきつつ、目をつぶっていた自分を戒める気持ちでいっぱいになります。
そして、父は、一つ一つの荷物に物語を感じ、一向に手が進まない。もう5年くらい前に痛めた僕の腰が悲鳴を上げていくわけです。
そうだよね。僕からしたら、ごみに見えても、何十年とそこにいる父からすれば大事な思い出の数々です。まったく整理されておりませんが、新聞の切り抜きから、包装紙にまで愛着のまなざしを向けている感じに見えます。
そんな姿を見つつ、お盆までに何とかしないとと必死に手を動かす自分も、瞬間的に、幼少期のフラッシュバックを繰り返します。
いい思い出も当然浮かび上がりますが、恥ずかしいあれやこれやがたくさんです。
断続的に自分の劣等感の源流とも向き合っちゃうんですよ。
厳しかった父に、ここで散々怒られながら勉強教わったな。。。寝ちゃったけどwとか、野球やりたくてピアノ諦めたけど、少年野球のチームに入ったら、周りよりヘタな自分に気づいて、急に嫌になってサボってたなとかとか、それ以上は自粛しますがww挫折の数々が。。。
そして、次第に言う事も聞かず、悪態つくようになり、父と一緒の空間にいればぶつかり、会話することもほとんどなくなって。。。とこんな調子で気分は落ちていくばかりです。
まあ、その当時は、気がつけば自分が自分に社会不適合の烙印を押しているなんてことまったく気がつきませんでしたけどね。
そんな2015夏を漂いながら、いい機会だからトラウマについて母を迎えるまで思案してみます。
まず、当時のトラウマを描き描き
続けて、現在の向き合い方を描き描き
ついでに、先日、アドラー心理学ベースのコーチングとアローチャートのコラボをしたので、アドラー的トラウマの否定を描き描きw
最終的には、こんなめんどくさい子どもを見守っていてくれた両親に感謝、感謝。相変わらず、外圧に弱い自分ですが、何とか頑張りマッスル。
投稿者@しゃん