日々是好日

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ある刑事ドラマの中で。

事件の犯人は物語の冒頭から登場していた。彼女は、少しも笑わなかった。淡々としゃべり、仮面のような表情を見せ続ける。ところが犯行の手口が解き明かされた時、堰を切ったように声をあげて笑った。私はそれが不気味でならなかった。自分が捕まろうとしているのに、肩をふるわせながら笑うのである。

いつだったか、人は悲しすぎると笑うと聞いた。一般的には、悲しいと涙が出て、うれしいときには笑うというイメージがあるが、時には幸せすぎて泣けるときもある。つくづく人間は複雑な生き物だと思う。

感情と表情が一致していない人を目の当たりにすると、心がザワザワする。テレビドラマでおかしくもないのに笑う人を、不気味に感じた私のように。 なぜ笑うんだろう。笑わなければならないのだろう。 なぜ涙が出るんだろう。 涙は無意識のうちに流れ落ちることもある。泣けていることに後から自分で気がついてびっくりすることがある。たとえば、滅多にあることではないがものすごく感動して放心状態にあるときとか。別に悲しくて泣いているわけではない。うれしいわけでもない。

生きていくために、バランスをとっているのであれば、その不安定な心の動きを微妙にキャッチして調整する脳の機能に敬意を表して、そのままの姿を受け入れたい。笑っていてもいいではないか。泣けるときは涙を流せばいい。そう考えると、「声を出して笑うことで気持ちを保とうとしている人」「涙があふれるほど心に変化が起きている人」、、、別の見方ができるようになる。

今日、利用者の方と100年後の世の中はどうなっているだろうねという話をしていた。ロボットが生活の中にかなり入っているということで意見が一致。80代のその方は、人工知能がいくら発達したとしても、不器用で時々失敗をする人間のぬくもりが好きだと言われる。暮らしのパートナーとして人間ができない部分を支えてくれて、上手く共存できるといいなと思う。

もし未来のロボットに感情があったとしたら、「ニンゲンノココロハ、フクザツデワカリニクイデス!」とつぶやいているかもしれない。

投稿者@PAO

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